(生物系)博士はつらいよ

某国立大学博士課程学生の仮面を被っているケツドラマーの日常

 

ある人とこんな話をしていた。

  • 創造的な仕事:アウトプットするのは当たり前なので、能動的にやらなければいけないことは、アウトプットの質を高めるためのインプット
  • 遊び:アニメやゲーム、観劇やライブへの参加では、観たものが自然にインプットされる。アウトプットは、能動的に行わないと為されずに終わってしまう。

 

考えてみたこともなかった。

インプットの無い創造的な仕事(これを''創造的''と呼べるだろうか?)は、妄想と変わらないものになってしまう。

アウトプットの無い遊びは、ひとときの夢で終わってしまう。

脳に、紙に、刻み込むように留めることが大事だ。

 

ガンダム世界に生まれたとしたら、自分は何をして生きるか?

私には、診療放射線技師の資格を持っている従兄弟がいる。現在大学病院にて、臨時雇用で働いている。

彼は賢い人である。理解力の高さ、頭の回転の速さが会話の端々から伺える。

感覚的な部分も鋭敏だ。料理を振る舞われた際など、味について細かく評価したり、こうすればよいというような提案もしたりする。

彼は、私が持っていないものを沢山持っている。

そんな彼なのだが、「仕事を辞めたい」と毎日口癖のように言うようなのだ。

「ようなのだ」というのは、直接私が彼の愚痴を聞くことはほとんどないということだ。

というより、仕事が嫌すぎて生きる意義をも見失ってしまっているような状態みたいなのだ。

超高齢社会へとひた走る日本において、専門的な医療知識を持つ人材の需要は今後増えていく一方だろう。

大学でゴリゴリの基礎研究に従事する私に言わせれば、とても安定した職で良いではないか、と正直羨ましく思うこともある。

 

 

資格を所持しているということは、一定の能力があることの保障・及びそれを分かりやすく社会に知らしめることと同義だ。

当然、現在の社会で求められる優先順位の高い仕事、また専門的な資格であればあるほど、社会からの要請は強くなる。

つまり、ある資格を持っているということは、その能力を生かして働くことが暗黙のうちに求められる。本人がそれを望むか望まないかは、社会的には重要ではない。

ガンダムシリーズでは、往々にして主人公が突如戦渦に巻き込まれ、否応なくガンダムに乗り込んで戦う。

主人公たちは戦争をしたいわけではなく、乗らざるを得ないから(ガンダムに乗って戦わなければ、自分が死ぬ・仲間が殺される等々)ガンダムに乗る。

ただ、誰もがガンダムに乗れるわけではない。彼らには、ガンダムを乗りこなす能力がある。

その能力は先天的なものである場合も多いが、先天的であるがゆえにより強力な拘束であるとも言える。

チャンスは必ずくる、その時は迷わずガンダムに乗れ。(出典:機動戦士ガンダムUC episode 6 宇宙と地球と)

マリーダ・クルスの名言である。

ガンダムに乗ることができる人間は、ガンダムに乗らなければいけないのだ。

 

 

現代社会を生きる我々は、ガンダム世界ほど極端な世界に生きているわけではないだろう。

しかし、能力を生かして行動することが周りのため、引いては自分自身のためになる…結果はどうなるか分からないが、前に進むことはできる点については、学ぶべきところがあるのではないだろうか。

従兄弟の彼にも、ガンダムを見せるべきか。

幸せな人生は、充実しているのか?

人生において、自由であることと充実していることは、強く結びついてるのではないかと思う。

この観点を持って、以下の4つの人生について考えてみる。

 

1. 幸せで充実している人生

2. 不幸せだけど充実している人生

3. 幸せだけど充実していない人生

4. 不幸せで充実していない人生

 

感覚的に、2 or 3が目指すべき人生の姿なのではないか、と思う。

 

1の場合、充実というより満足といった方がよいかもしれない。

満足であるということは、これ以上の変化・進化は必要ないということだから、充実とは言えない気がする(幸福と充実は両立しないのでは?)

4の場合、生きることが辛くなってしまうので、あまり深く考えないことにする。

 

2の場合というのは、自らの意志で自分の道を切り開くような生き方と言えそうだ。

例えば、経営者・研究者といった専門性が高く、前例の無いことを取り扱うことが多い。

先駆者となれる喜びはあるかもしれないが、懇切丁寧に指導してくれる人は少なそうだ。

好きなことをやる人生。

スタァライトで言えば「大きな星を摘む」人生である。攻め。

3の場合というのは、自分の手の届く範囲のものを大切にしていく生き方。

仕事としては、決まったルーティンワークが多そうだ。

工夫の余地は少ないかもしれないが、安定した収入を得られそうである。

公務員・安定した業界のサラリーマンなどが該当しそうだ。

スタァライトで言えば「小さな星を摘む」人生である。守り。

 

小さな星と大きな星の両方を摘んだなら、永遠の願いを手に入れるわけなのだが。

お持ちなさい、あなたの望んだその星を(出典:少女☆歌劇 レヴュースタァライト

一生をかけて、自分はどんな星を摘みたいのか。それが問われている。

創作におけるインプットとアウトプット

いい記事を読んだ。

news.denfaminicogamer.jp

 前回の記事で、創作のためにはインプットしたものを咀嚼し、自分の解釈を加えてみることが大事なのではないかと書いた。

 

桜井政博氏(以下、桜井氏)は、ゲームの面白さの肝はリスクとリターンの関係にあると述べている。

つまり、リスクに見合ったリターンを得られることこそがゲーム性の本質、ということである。

この「リスクとリターン」という観点からゲームを見つめてみると、名作と言われているゲームはジャンル問わずこの法則が上手い具合に仕様に落とし込まれていることが多い。インベーダーゲームなどがその最たる例だ。

桜井氏は、自身の膨大な種類のゲームプレイ経験からこの法則を導き出したようである。

法則を理解し整理していた桜井氏は、自身が苦手なジャンルの落ち物パズルメテオス』(2005) の企画原案を、なんと5分で考えついたという。

 

この例から学べることは、創作におけるインプットとアウトプットの割合の比率は、間違いなく前者が圧倒的に高いということだ。

大量の果実を採集してきて、ほんの少しの果汁を絞り出すイメージ、といったところか。

量に加えて、インプットを真に自分のモノにしていくためには、面白さのエッセンス=本質が何かを常に考えて自分の言葉で言語化する必要があることは、言うまでもないのだが。

自分の言葉で書け…自分の言葉とは?

「パクリと影響は違う その違いが分からないやつは創作から手を引かないといけない」

月に吠えらんねえ講談社 アフタヌーンKC)2巻 P. 20より

 

私がいた小学校では、毎年生徒ひとりひとりに自由作文を書かせて、その中から優秀だと思われるものをまとめて文集として発行する文化があった。1年生と2年生のとき、私が書いたものがその文集に掲載された。それぞれ、逆上がりができた喜びを書いたものと、遠足の思い出を書いたものであったと思う。多少文章がくどく、また比喩表現がくさすぎて(例:皆僕のことを待っていたかのように←いやお前が遅刻ギリギリで登校しただけだろ 風のように走った←実際は遅刻しないように必死で走っていただけでそんなに爽やかなものではない)ツッコミ所は満載なのだが、あれらはたしかに自分の言葉で書かれたものであったように思う。

 

3年生のときのテーマは、詩であった。作文ならまだしも、詩などろくに書いたこともない。なのに、急に詩を書けとはなんだ。とんだ無茶ぶりである。作文ならばある程度論理構造を組み立てながら書いていくことができるが、詩はそういう類のものではない。感情が奔るままに自然に言葉が紡がれていく。詩は、絵画や彫刻のような純粋芸術に属するものなのだ。書こうと思って書くものではなく、書かずにはいられずに書いてしまうものだ。考えあぐねた私は思いついた。上手い人の詩を真似て書けばいいのではないか。早速、私はクラスのある子が書いた、この詩はいいと感じたものを参考にして提出用の詩を書き上げた。後日、各々が書いた詩を何人かで批評し合う会があった。そこで私は口々に「これは○○君のパクリじゃん」と言われることとなる。

 

なぜそのように評価されてしまったのか。私の書いた詩は、○○君の詩の言葉を変えただけのものだったからである。形式はそのままに、一つ一つの単語を別のものに置き換えて、意味が通じるように手を加えただけ。パクリと言われても仕方がないというか、ちょっと読めば誰でもパクリであると気付く。

 

借り物の言葉から自分の言葉にするためには、何が必要なのか。おそらく、咀嚼が必要なのだと思う。借り物の言葉の中に込められた魂をかみ砕いて、自分の解釈を加えてみる。取り入れるべきものは取り入れ、残りは吐き出す。そうして、自分の血肉とする。自分の言葉となるものは自分の外にしか存在しないから、インプットを怠ってはいけない。だが、咀嚼するプロセスがないと、自分の言葉となり得るものもただただ排泄されていってしまうのだろう。

 だから、創作は苦しいものなのかもしれない。

 

すば

机の上に、折り畳み傘のケースが置いてあった。

そこに収まるはずの折り畳み傘が既に失われてしまったことを、私は知っている。なんせ、電車の中に置いてきてしまったのだから。

主人の帰りを待つかの如くそこに佇むケースを見て、私は憐れみ、そして寂しさを感じた。

11月のある雨の日、私は新しい傘を持って意気揚々と外出するのであった。

すば