(生物系)博士はつらいよ

某国立大学博士課程学生の仮面を被っているケツドラマーの日常

先読み=想像力=Not事勿れ主義

「コロナウィルスが流行っているので、エタノールを多めに注文しておく。」

 

当たり前のように聞こえるが、これを言われなくても実行するには想像力が必要だ。「コロナウィルスが流行っているな(終了)」では状況の放置、つまり事勿れ主義に陥っている。そこから「予防には手洗い、エタノールが有効と言われている」「これら物資は医療機関等に優先的に回されるはず」「では、品薄になる前に注文しておこう」と考えを進め、実行できるか。

 

現在の状況から、次に起きそうなことを推定(想像力)→推定されることが状況を悪化させるものであれば、予め手を打っておく(Not事勿れ主義)、この当たり前のサイクルを当たり前に出来るように、しっかり意識していきたい。

コーヒーを上手く淹れられた日

コーヒーを上手く淹れることが出来たので、記しておく(ペーパーフィルタータイプ)

 

1. ペーパーフィルターの片端と底面を軽く折り*1、セットしておく

2. ヤカンで湯を沸騰させる

3. コーヒー粉をフィルターに入れる

4. 粉全体に湯を注ぎ入れ、20 秒ほど蒸らす。なるべく少ない湯量で全体を蒸らす。

5. 粉の真ん中に、粉全体が膨らんでくるまで湯を注ぐ。膨らんだ粉の上部から湯が外に漏れ出ないようにする。

6. 湯が落ちきり、粉の膨らみがなくなったら再び湯を注ぐ

7. 5 → 6 を、繰り返す。注ぐ湯量は、ぴったり粉の量に応じるようにする*2

8. 完成!

 

お試しあれ。

*1:チャックがある場合は、チャックに合わせて折る

*2:多すぎても少なすぎても良くないらしい。

リンゴ酢ハチミツから揚げ

cookpad.com

上記レシピを参照、改変。

材料は、元レシピ参照。

 

1. 鶏モモ肉 or ムネ肉をジップロックに入れ、ブライン液*1に1時間以上、室温で浸す

2. 付け合わせのキャベツを千切りしておく

3. 下味用調味料*2(*)作る

4. ブライン液を捨て、(*)を加えて15分程度浸す

5. リンゴ酢タレ*3を作っておく

6. (*)を捨て、から揚げサイズに切る

7. 肉の表面に、満遍なく片栗粉をまぶす

8. 油を 180 ℃に熱す

9. 軽く薄力粉をまぶし、揚げる

10. 表面がキツネ色になったら裏返し、両面がキツネ色になったらさらう

11. 皿にキャベツを敷き、その上にから揚げを乗せてリンゴ酢タレをかける

*1:水に砂糖と塩を 5  (w/v) % 加えた溶液

*2:料理酒 : 醤油 = 3 :1 (この比率だと、から揚げ自体はあっさりとした味になり、リンゴ酢ダレが際立つ)で混ぜ、ショウガ少々(チューブでよい)を加えたもの

*3:リンゴ酢 大3~4
しょう油 大3
ハチミツ 大3
砂糖 大2
みりん 大2

「バイオ戦略 2019」を読み解く

なぜ「バイオ戦略 2019」の整理が必要か

理由は簡単。生きていくため。

 

バイオ戦略 2019

 昨年6月11日、統合イノベーション戦略推進会議にて決定された「バイオ戦略 2019」(以下、バイオ戦略)の内容を、自分のために整理しておく。バイオ戦略の具体的な内容については、以下のファイル参照。

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tougou-innovation/pdf/biosenryaku2019.pdf

 

 そもそも、バイオ戦略を策定した「統合イノベーション戦略推進会議」(以下、会議)とは何か。内閣府のホームページによれば、

「統合イノベーション戦略」(平成30年6月15日閣議決定)に基づき、イノベーションに関連が深い司令塔会議である総合科学技術・イノベーション会議、高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部、知的財産戦略本部、健康・医療戦略推進本部、宇宙開発戦略本部及び総合海洋政策本部並びに地理空間情報活用推進会議について、横断的かつ実質的な調整を図るとともに、同戦略を推進するため、内閣に統合イノベーション戦略推進会議(以下「会議」という。)を設置する。(出典:統合イノベーション戦略推進会議 https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tougou-innovation/) 

とある。会議は、バイオ戦略以外にも AI戦略・量子技術イノベーション戦略を策定している。会議の考え方の根底には「統合イノベーション戦略 2019」があり、この戦略に基づき特に重要と思われる科学技術に今後注力していくようだ。統合イノベーション戦略 2019 のバイオテクノロジーの項にはこうある。

〇目指すべき将来像
・持続可能な生産と循環によるSociety 5.0の実現のために、バイオでできることを考え、行動を起こせる社会を実現し、国際連携・分野融合・オープンイノベーションを基本とする世界のデータ・人材・投資・研究の触媒となるような魅力的なコミュニティを形成
・バイオとデジタルの融合を全ての土台とし、生物活動のデータ化等も含めてデータ基盤を構築しそれを最大限活用することにより産業・研究を発展させることで、世界最先端のバイオエコノミー社会を実現

 Society 5.0 の本質は、労働力の不足・社会インフラの老朽化が進む日本において、より効率的な意志決定の実現のために、最先端のデジタル技術を活用していこうとするところにあるだろう。この考えのもと、目指すべき社会像の実現のためにはバイオ技術の活用が不可欠なので、バイオとデジタルを融合していくのが大きな方針だ。

 

 具体的な内容に入っていく。今後の日本及び他の国々が抱えるであろう社会課題は

  1. 環境問題の深刻化
  2. 食料確保の困難化
  3. 生活習慣病の増加
  4. 医薬品需要の増加
  5. 高齢化・人口減少

であると述べられている。これから人口が増加し経済成長が見込まれる新興国と日本のような先進国で、同時代に抱える課題は異なるかもしれない。しかし、新興国もゆくゆくは先進国と同様の課題を抱えるであろうことは明白だ。従って、日本の現状課題の克服が、将来日本が世界のオピニオンリーダーになることに繋がる。

 続いて上に挙げた社会課題を克服するためのキーワードとして

の3つが必要と述べられている。これら3つのキーワードを踏まえ、どういった社会像を描くべきか。また、描いた社会像を実現するために、どのような市場領域を設定すべきか。バイオ戦略の本質はそこにある。

 

 

 「持続する社会」とは、衣食住に必要な物資が無理なく半永続的に生産でき、かつ生活によって生じる廃棄物が環境への負荷とならない(もしくは、廃棄物自体が衣食住に必要な物資に生まれ変わる)社会と言い換えられる。従って、「持続する社会」と「循環型社会」は切っても切れない関係にある。循環型社会では、持続可能性が自然に生まれる。このような社会の実現のためには「健康」が重要であることは言うまでもない。ただ、この3つのキーワードは漠然としすぎている。目指すべき理想像ではあるが、実現可能な目標とするためには、具体性が足りない。キーワードを踏まえ、実際に実現したい4つの社会像が描かれている。

  1. すべての産業が連動した循環型社会→循環型社会
  2. 多様化するニーズを満たす持続的な一次生産が行われている社会→持続可能性
  3. 持続的な製造法で素材や資材のバイオ化している社会→持続可能性・循環型社会
  4. 医療とヘルスケアが連携した末永く社会参加できる社会→持続可能性・健康

そして、4つの社会像を実現するための9つの市場領域が以下である。

  1. 高機能バイオ素材(軽量性、耐久性、安全性)
  2. バイオプラスチック(汎用プラスチック代替)
  3. 持続的一次生産システム
  4. 有機廃棄物・有機排水処理
  5. 生活習慣改善ヘルスケア、機能性食品、デジタルヘルス
  6. バイオ医薬・再生医療・細胞治療・遺伝子治療関連産業
  7. バイオ生産システム(バイオファウンドリ)
  8. バイオ関連分析・測定・実験システム
  9. 木材活用大型建築・スマート林業

この9つの市場領域の設定には、世界の潮流に乗るだけでなく「日本の強みを生かす」ことが強く意識されている。バイオ戦略は、以上の市場領域の発展のために必要な具体的取組をまとめて締められている。注目すべき点は、すべての市場の発展に「データ基盤の全体設計」が盛り込まれているべきである。現状、過去のバイオ戦略に基づいたデータベースが連携なく分散しており、それらデータベースから有益な知見を得ることは難しい状況のようだ。

 

生物系人材が生き残るには?

 バイオ戦略には、今後9つの市場にリソースを集中する旨が書かれている。言い換えれば、9つの市場に関連が薄い分野は、今後苦境に立たされることになる。自分の知的好奇心を満たすのも良いが、どこかで見切りをつけ、社会の要請に応える道もあるだろう(結果的には、その方が幸せかもしれない)。先に述べたように、バイオ戦略実現の前提とも言える「データ基盤の設計」に関しては、情報系人材に分があると言える。しかもバイオ戦略には、各種データベースの基盤は2022年度を目安にするとあるから、今からデータベース構築の勉強を始めても、その知識を活用するのは難しいだろう。生物系人材が、専攻の強みを生かすにはどうすればよいだろうか。

 これはあくまで自分の考えだが、「付加価値」で勝負するのがよいのではないか。つまり、情報系人材が構築したデータベースの「利用の仕方」で差別化を図れるのではないだろうか。データベースは、上手く利用しなければただのデータの集合体でしかない。ビッグデータを利用して、何を知りたいのかが重要だ。例えば育種ならば、知りたいことは目的の農産物を生み出す方法だ。そのために、交配親の形質はどうあるべきかの判断には、遺伝学・分子生物学の知識が必要になってくる。一口にデータベースを利用するといっても、この前提知識があるのとないのとでは活用の仕方の質に差が出るだろう。これは一例にすぎないが、バイオ素材や医療へのビッグデータ活用に際しても、この「生物学的知識があるかどうか」の違いは大きいはずだ。

 

現時点での結論

 従って、生物系人材が今後生き残っていくための現時点での結論は、自分の研究分野の知識を最大限に深め、かつビッグデータ活用のためのデジタル技術(機械学習・深層学習・AI解析)をどれか1つ取得する、だ。1本槍ではなく、2刀流で闘った方が勝てる確率が上がるのではないだろうか。今後のバイオ戦略にも注目しながら、自分が活躍できる道を模索し続けていきたい。

くどい!と言われないための書き言葉

note.com

という記事を読んだ…

早速、「という」を使ってしまった。

 

 

「という」と「こと」の使用を減らすだけで、文章がシュッとしまるらしい。

自分の文章は、昔から「くどい!」とよく言われてきた。

おそらく、論理構造は破綻していないが、より簡潔に表現できる文章を冗長にしてしまいがちなのだろう。自覚はある。

そこで、今までに投稿した記事で「という」と「こと」の登場回数を検索してみた。

結果、「という」は22回(平均3回/記事)、「こと」は53回(平均6.5回/記事)使用されていた。

記事によれば、これら2つの言葉は

「思った言葉をそのままテキスト化したときに出現する」

と述べられている。

前の文章をそのまま受けて次に繋げる際に、「という」は非常に便利だ。

さらに、解決策として

「という」→消す

「こと」→別の言葉に置き換える

と直すと、上手くいく場合が多いそうだ。

「こと」は節を名詞化する働きを持つ形式名詞であり、「こと」そのものは意味を持たない。

従って、「こと」を使わずに別の言い回しでの表現を模索すべきなのだ。

 

 

以上、「という」と「こと」を極力使わずに注意しながら書いてみた。

想像以上に自分がこれらの言葉に依存しているのが分かり、書くのに非常に疲れてしまった。

普段より少しはスッキリした文章が書けているだろうか?

身体の対称性?

先日、左側頭部の髪を脱色し、青を入れた。

脱色したので当然元の髪は金髪のようになっている。

鏡をのぞいたら、右側頭部の髪に白髪が何本か増えていることに気付いた。

…不思議である。

他の部位で白髪が増えた気配はなく、脱色した部分と反対側のみで急に増えている。

左右でバランスを取ろうという身体の作用なのだろうか。

それとも偶然対称部位に白髪が増えただけか。

身体は不思議である。

科博のミイラ展に行ってきた話。

昨日、上野の科博で開催されている特別展「ミイラ」に行ってきた。

www.tbs.co.jp

ミイラに関する知識はほとんど持っていなかった。

幼い頃に行った世界四大文明展で、エジプトのミイラについて少しだけ学んだことがあるのみである。

ミイラがどのようにして作られてきたのか、その技術的な側面についても興味はあるが、より気になるのは「なぜミイラにしてまで生きていた人をこの世に留めておこうとするのか」という点だ。

当時の人々がミイラ作りを通じて何を考え、何を求めていたのか。それが問題だ。

雪の降る中、その答えを求めて私は科博へと足を運んだ。

 

 

展示を見てまず驚いたのは、世界中にはこうも多様なミイラが存在しているということだ。

今回の展示では、古今東西のミイラが時系列、地域別に展示されている。

エジプトのミイラは確かに多く展示されてはいたが、南北アメリカやヨーロッパ、オセアニア、アジアからも数多くのミイラが出土していることを知った。

小さな子供のものから40歳程度の成人のものまで(当時の寿命は40歳くらいだったのだろうか。現代ならまだまだ働き盛りだが、老人に見えた。)、様式や装飾もさまざまであった。

ただ、ミイラ作りに携わった人たちの共通の思いのようなものが、各々のミイラから匂い立っているように感じた。

 


南アメリカペルーから出土したチャチャポヤのミイラは、遺体を屈葬のようなかたちで折りたたんだ後布で巻き、糸で顔の形や髪の毛を模して刺繍してあった。

それぞれの顔の形にはキャラクターのような剽軽さがあり、死体なのにも拘らず愛着が湧いてきた。

 

エジプトのミイラは技術の粋を集めたものと言ってよい。

確かな解剖学の知識に裏付けられた正確な臓器の摘出、またその後炭酸ナトリウムを多く含むナトロンに漬け込んで脱水をするなど、作製法が科学的に理にかなっている。

しかし、エジプト人がミイラに託した思い自体は、再生を信じた宗教的、言い方を変えれば人間臭いものから来るものであった。

余談だが、ローマ帝国による侵略、キリスト教の繁栄によってエジプト文明が滅び、ミイラ作りのノウハウが失われてしまったのは、医学の発展において大きな損失だ。

彼らの解剖学的知識がターヘルアナトミアのような形で残っていれば、今日の医学はより高みに到達していたに違いない。。。

 

ヨーロッパからは、今回の目玉である「ウェーリンゲメン」が展示されていた。

ヨーロッパではミイラ作りはメジャーではなかったようで、出土したものの多くは自然ミイラである。

ウェーリンゲメンも湿地帯で発見された自然ミイラであるが、大きい方の遺体が小さい方の遺体に両手を伸ばし抱きかかえようとしている姿からは、愛情のようなものを感じずにはいられない。

またまた余談だが、ウェーリンゲメンのメンは ''men'' である。

つまり、小さい方も男性ということ!

姿から男女のカップルと決めつけてしまう先入観にハッと気付かされた瞬間であった。。。

 

そして、日本からもミイラが出土していることには驚いた。

即身仏の存在は知っていたし(東北地方に約20体現存しているらしい)、今回も福島県の貫秀寺に安置されている「弘智法印 宥貞」が静かに我々を見つめていた。

本草学者は自らの意志でミイラとなった人物だ。

死の直前に柿の種子を大量に摂取していたことがCTスキャンで分かっており、これが防腐剤の役割を果たしたようである。

自らの体を用いて自然現象を解き明かそうとするその姿勢は、研究者として理想的だ。

日本でもミイラ作りは一般的ではないが、即身仏本草学者ともに自らの意志でミイラとなることを望んだ人が実際にミイラとなって姿を留めている例が多い点が興味深い。

 

 

彼らは、ミイラ作りを通じて死を考えることで、では自分たちが生きているということはどういうことなのか?ということを問い続けていたのではないだろうか。

現代になっても、その疑問は解消されることはなく人は生きることに日々迷い、時には生を放棄してしまいたくなるような瞬間も訪れる。

 

人類は、自らの手で死をより遠くへ遠くへ追いやっていっているように見える。

しかし、それと同時に生きていることの実感も手放している気がしてならない。

昔の人々は、「身近な人の死」を手元に置くことで「自らの生」を実感していたのではないだろうか。

 

ミイラ達の虚ろな目は、我々に何かを語りかけてくるように感じた。