(生物系)博士はつらいよ

某国立大学博士課程学生の仮面を被っているケツドラマーの日常

科博のミイラ展に行ってきた話。

昨日、上野の科博で開催されている特別展「ミイラ」に行ってきた。

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ミイラに関する知識はほとんど持っていなかった。

幼い頃に行った世界四大文明展で、エジプトのミイラについて少しだけ学んだことがあるのみである。

ミイラがどのようにして作られてきたのか、その技術的な側面についても興味はあるが、より気になるのは「なぜミイラにしてまで生きていた人をこの世に留めておこうとするのか」という点だ。

当時の人々がミイラ作りを通じて何を考え、何を求めていたのか。それが問題だ。

雪の降る中、その答えを求めて私は科博へと足を運んだ。

 

 

展示を見てまず驚いたのは、世界中にはこうも多様なミイラが存在しているということだ。

今回の展示では、古今東西のミイラが時系列、地域別に展示されている。

エジプトのミイラは確かに多く展示されてはいたが、南北アメリカやヨーロッパ、オセアニア、アジアからも数多くのミイラが出土していることを知った。

小さな子供のものから40歳程度の成人のものまで(当時の寿命は40歳くらいだったのだろうか。現代ならまだまだ働き盛りだが、老人に見えた。)、様式や装飾もさまざまであった。

ただ、ミイラ作りに携わった人たちの共通の思いのようなものが、各々のミイラから匂い立っているように感じた。

 


南アメリカペルーから出土したチャチャポヤのミイラは、遺体を屈葬のようなかたちで折りたたんだ後布で巻き、糸で顔の形や髪の毛を模して刺繍してあった。

それぞれの顔の形にはキャラクターのような剽軽さがあり、死体なのにも拘らず愛着が湧いてきた。

 

エジプトのミイラは技術の粋を集めたものと言ってよい。

確かな解剖学の知識に裏付けられた正確な臓器の摘出、またその後炭酸ナトリウムを多く含むナトロンに漬け込んで脱水をするなど、作製法が科学的に理にかなっている。

しかし、エジプト人がミイラに託した思い自体は、再生を信じた宗教的、言い方を変えれば人間臭いものから来るものであった。

余談だが、ローマ帝国による侵略、キリスト教の繁栄によってエジプト文明が滅び、ミイラ作りのノウハウが失われてしまったのは、医学の発展において大きな損失だ。

彼らの解剖学的知識がターヘルアナトミアのような形で残っていれば、今日の医学はより高みに到達していたに違いない。。。

 

ヨーロッパからは、今回の目玉である「ウェーリンゲメン」が展示されていた。

ヨーロッパではミイラ作りはメジャーではなかったようで、出土したものの多くは自然ミイラである。

ウェーリンゲメンも湿地帯で発見された自然ミイラであるが、大きい方の遺体が小さい方の遺体に両手を伸ばし抱きかかえようとしている姿からは、愛情のようなものを感じずにはいられない。

またまた余談だが、ウェーリンゲメンのメンは ''men'' である。

つまり、小さい方も男性ということ!

姿から男女のカップルと決めつけてしまう先入観にハッと気付かされた瞬間であった。。。

 

そして、日本からもミイラが出土していることには驚いた。

即身仏の存在は知っていたし(東北地方に約20体現存しているらしい)、今回も福島県の貫秀寺に安置されている「弘智法印 宥貞」が静かに我々を見つめていた。

本草学者は自らの意志でミイラとなった人物だ。

死の直前に柿の種子を大量に摂取していたことがCTスキャンで分かっており、これが防腐剤の役割を果たしたようである。

自らの体を用いて自然現象を解き明かそうとするその姿勢は、研究者として理想的だ。

日本でもミイラ作りは一般的ではないが、即身仏本草学者ともに自らの意志でミイラとなることを望んだ人が実際にミイラとなって姿を留めている例が多い点が興味深い。

 

 

彼らは、ミイラ作りを通じて死を考えることで、では自分たちが生きているということはどういうことなのか?ということを問い続けていたのではないだろうか。

現代になっても、その疑問は解消されることはなく人は生きることに日々迷い、時には生を放棄してしまいたくなるような瞬間も訪れる。

 

人類は、自らの手で死をより遠くへ遠くへ追いやっていっているように見える。

しかし、それと同時に生きていることの実感も手放している気がしてならない。

昔の人々は、「身近な人の死」を手元に置くことで「自らの生」を実感していたのではないだろうか。

 

ミイラ達の虚ろな目は、我々に何かを語りかけてくるように感じた。