(生物系)博士はつらいよ

某国立大学博士課程学生の仮面を被っているケツドラマーの日常

ガンダム世界に生まれたとしたら、自分は何をして生きるか?

私には、診療放射線技師の資格を持っている従兄弟がいる。現在大学病院にて、臨時雇用で働いている。

彼は賢い人である。理解力の高さ、頭の回転の速さが会話の端々から伺える。

感覚的な部分も鋭敏だ。料理を振る舞われた際など、味について細かく評価したり、こうすればよいというような提案もしたりする。

彼は、私が持っていないものを沢山持っている。

そんな彼なのだが、「仕事を辞めたい」と毎日口癖のように言うようなのだ。

「ようなのだ」というのは、直接私が彼の愚痴を聞くことはほとんどないということだ。

というより、仕事が嫌すぎて生きる意義をも見失ってしまっているような状態みたいなのだ。

超高齢社会へとひた走る日本において、専門的な医療知識を持つ人材の需要は今後増えていく一方だろう。

大学でゴリゴリの基礎研究に従事する私に言わせれば、とても安定した職で良いではないか、と正直羨ましく思うこともある。

 

 

資格を所持しているということは、一定の能力があることの保障・及びそれを分かりやすく社会に知らしめることと同義だ。

当然、現在の社会で求められる優先順位の高い仕事、また専門的な資格であればあるほど、社会からの要請は強くなる。

つまり、ある資格を持っているということは、その能力を生かして働くことが暗黙のうちに求められる。本人がそれを望むか望まないかは、社会的には重要ではない。

ガンダムシリーズでは、往々にして主人公が突如戦渦に巻き込まれ、否応なくガンダムに乗り込んで戦う。

主人公たちは戦争をしたいわけではなく、乗らざるを得ないから(ガンダムに乗って戦わなければ、自分が死ぬ・仲間が殺される等々)ガンダムに乗る。

ただ、誰もがガンダムに乗れるわけではない。彼らには、ガンダムを乗りこなす能力がある。

その能力は先天的なものである場合も多いが、先天的であるがゆえにより強力な拘束であるとも言える。

チャンスは必ずくる、その時は迷わずガンダムに乗れ。(出典:機動戦士ガンダムUC episode 6 宇宙と地球と)

マリーダ・クルスの名言である。

ガンダムに乗ることができる人間は、ガンダムに乗らなければいけないのだ。

 

 

現代社会を生きる我々は、ガンダム世界ほど極端な世界に生きているわけではないだろう。

しかし、能力を生かして行動することが周りのため、引いては自分自身のためになる…結果はどうなるか分からないが、前に進むことはできる点については、学ぶべきところがあるのではないだろうか。

従兄弟の彼にも、ガンダムを見せるべきか。